1980
- 1982年6 月29 日日本航空の高木社長、日米航空交渉暫定取り決めによる太平洋チャーター便年間片 道300便について、日本航空1社でやらせてほしいと運輸省に要請 
- 1982年6 月30 日アリタリア航空のニューデリー発バンコク行きB747が乗っ取られ、バンコクのドンムアン国際空港に着陸(日本人63人を含む乗客243人と乗員18人は32時間後に全員解放) 
- 1982年7 月1 日朝日ヘリコプターと東洋航空事業が合併。朝日航洋㈱が発足 
- 1982年7 月4 日ソ連共産党機関紙「ブラウダ」、米国が宇宙軍事利用の道に進むなら、ソ連も対抗措置をとることを表明 
- 1982年7 月9 日パンアメリカン航空のB727が、マイアミ空港を離陸直後、 住宅地に墜落。乗客乗員145人全員死亡、地上住民も5人が死亡 
- 1982年7 月15 日東亜国内航空、福岡~高知線を運航開始 
- 1982年7 月16 日米、バンデンバーグ基地より「ランドサット4号」を打ち上げ。7.16に多重スペクトル走査放射計(MSS)による初画像、7.20に高分解能光センサー(TM)による初画像をそれぞれ米国で受信 
- 1982年7 月19 日IATAの1981年輸送実績発表。日本航空が国際線定期輸送で世界第3位に 
- 1982年7 月21 日ソ連、ロケット1機で8基のコスモス衛星(各61kg)を打ち上げ。コスモス衛星は累計 1、395基 
- 1982年7 月24 日全日空、名古屋~秋田線を運航開始 
- 1982年7 月28 日YS11の第1号機、新東京国際空港公団が保管・公開のため大阪から成田へ空輸 
- 1982年7 月29 日B767、米FAAの型式証明取得 
- 1982年8 月1 日BAe146-200が初飛行 
- 1982年8 月2 日民間航空機㈱が発足、YXの量産販売に対処するため 
- 1982年8 月4 日日米英の国際開発プロジェクトに発展したXJB計画の開発体制がほぼ固まる。日本側3社(石川島播磨重工、川崎重工、三菱重工)の開発担当比率は27%の見直し 
- 1982年8 月10 日米国家運輸安全委員会(NTSB)、フロリダ航空 B737のボトマック川墜落事故(1982.1.13)の原因をパイロットのミスと結論 
- 1982年8 月11 日パンアメリカン航空の成田発ホノルル行きB747がハワイ上空を飛行中、後部座席付近で爆発、日本人乗客1人が死亡、 15人が負傷、原因は手荷物に仕掛けられた爆発物 
- 1982年8 月11 日米司法省、日米英共同開発のXJB計画が「寡占による競争制限と独禁法抵触の可能性がある」と事業計画内容などの予備調査を開始 
- 1982年8 月16 日宇宙開発事業団、TT-500A型ロケット11号機打ち上げ。宇宙実験装置搭載の頭胴部海上で回収 
- 1982年8 月19 日ソ連、史上2人目の女性飛行士ベトラーナ・サビッカヤを含む3人乗り宇宙船「ソユーズT-7」を打ち上げ。女性飛行士は19年ぶり、翌20日「サリュート7号」とドッキング、27日に帰還 
- 1982年8 月26 日南西航空の那覇発石垣行きB737、石垣空港で着陸に失敗して炎上、2人が重傷 
- 1982年8 月31 日航空自衛隊F4EJ戦闘機と米戦略空軍B52爆撃機との初訓練が、 五島列島西方海上で行われる 
- 1982年9 月1 日運輸省、太平洋チャーター便年間片道300便について、1982年度は日本航空270便、全日空に30便、1983年度は日本航空240便、全日空60便を認可に決定。全日空、太平洋線に進出 
- 1982年9 月1 日米空軍宇宙軍団が発足 
- 1982年9 月1 日ロス・ベローとジェイ・コバーン(米)、ベル・ロングレンジャーで世界初のヘリコプターによる世界一周、9.30 に記録達成 
- 1982年9 月2 日国鉄のリニアモーターカー、日向市の実験で世界初の有人浮上走行 
- 1982年9 月2 日米連邦航空局、ハンググライダーや超軽量飛行機の飛行規制を初めて発表 
- 1982年9 月3 日宇宙開発事業団、N-Ⅰロケット9号機(最終)で技術試験衛星型 (ETS-Ⅲ)「きく4号」を打ち上げ 
- 1982年9 月5 日宇宙開発事業団、気象観測小型MT-135PT-33号機(最終)を打ち上げ 
- 1982年9 月7 日日米航空交渉、ワシントンで暫定取り決め調印 
- 1982年9 月10 日警視庁東京空港署特捜本部、日航機羽田沖墜落事故の機長を書類送検 
- 1982年9 月12 日宇宙科学研究所、鹿児島宇宙空間観測所から一段式固体ロケットS-210型13号機を打ち上げ 
- 1982年9 月15 日マクドネル・ダグラス社、同社2000機目の大型ジェット機としてユナイテッド航空に DC10CFを引き渡し 
- 1982年9 月17 日日本航空の上海発成田行きDC8が上海虹橋空港で着陸に失敗、オーバーランして土手に激突、乗客乗員124人のうち日本人17人を含む21人が重軽傷 
- 1982年9 月21 日B747-300の初号機がロールアウト 
- 1982年9 月25 日宇宙科学研究所、鹿児島宇宙空間観測所から一段式固体ロケットS-310型12号機を打ち上げ 
- 1982年9 月27 日英国航空、1983年春までに内外17路線を廃止すると発表 
- 1982年10 月1 日日本航空、ヴァリグ・ブラジル航空と提携で日伯間国際航空貨物輸送を開始 
- 1982年10 月5 日羽田~札幌間の4~9月間の旅客数、全日空が初めて日本航空を抜く 
- 1982年10 月12 日フライング・タイガー航空、シアトル~成田~福岡の貨物チャーター便運航 
- 1982年10 月12 日ソ連、SL-9ロケットでコスモス1413、1414、1415の3衛星を同時打ち上げに成功 
- 1982年10 月17 日中国軍パイロット、ミグ19戦闘機で韓国に亡命 
- 1982年10 月19 日民間輸送機開発協会が㈶日本航空機開発協会と名称変更 
- 1982年10 月22 日ノースウエスト航空の那覇発シカゴ行きB747、成田空港着陸時に右翼下のタイヤ2本破裂、同社ジャンボ機のパンク事故は7月に続き2度目 
- 1982年10 月30 日日本婦人航空協会の女性パイロット、中国親善訪問飛行に出発 
- 1982年11 月2 日パンアメリカン航空、成田~ マニラ線を運航開始 
- 1982年11 月3 日長崎空港沖で大型機飛行直後の後方乱気流に巻き込まれた長崎航空セスナ機が墜落、操縦士死亡 
- 1982年11 月11 日NASA、スペースシャトル「コロンビア号」打ち上げ、11.16 帰還 (STS-5;5日 2時間14分) 
- 1982年11 月12 日全日空、グアム島へのチャーター第1便を運航 
- 1982年11 月14 日静岡県浜松市で曲技飛行中の航空自衛隊「ブルーインパルス」T-2が墜落、通行中の車も巻き込み操縦士死亡のほか負傷者12人 
- 1982年11 月15 日日本航空、日米航空交渉暫定取り決めによる成田~シアトル~シカゴ線を1983年4月より週3便運航と発表 
- 1982年11 月15 日上越新幹線、大宮一新潟間開業 
- 1982年11 月20 日日本気球連盟公認熱気球大会「82バルーンフェスタ・イン佐賀」開催 
- 1982年11 月29 日中曽根内閣発足 
- 1982年11 月29 日海上保安庁福岡航空基地所属のベル212型ヘリコプターが長崎県男女群島男島山中で墜落、乗員2人死亡、6人重傷 
- 1982年11 月30 日ゲイツ・リアジェット社のビジネス・ジェット機、リアジェット55ERが初飛行 
- 1982年12 月6 日中国民航局、日本航空機上海事故(1982.9.17)の原因は「腐食空気筒の破裂」と発表 
- 1982年12 月9 日宇宙開発事業団、TT-500Aロケット11号機の実験(1982.8.16) で、ニッケル系合金の製造に成功と発表 
- 1982年12 月10 日ソ連、宇宙滞在211日8時間5分を樹立したベレゾボイ、レベジエフ両飛行士が帰還 
- 1982年12 月12 日日本アジア航空、 台北線にB747を導入 
- 1982年12 月14 日全日本民間労組協議会(全民労協)結成 
- 1982年12 月15 日全日空創立30周年 
- 1982年12 月17 日運輸省、川崎重工BK117型ヘリコプターに型式証明を交付 
- 1982年12 月18 日秋田県、航空自衛隊救難隊基地設置の受け入れを正式決定 
- 1982年12 月21 日FAA、B757に型式証明 
- 1982年12 月21 日航空自衛隊 航空教育隊を新編成 
- 1982年12 月22 日航空事故調査委員会、羽田沖日航機墜落事故(1982.2.9)に関する聴聞会開催 
- 1982年12 月24 日中国民航旅客機、広州市白雲空港で火災事故のため乗客乗員69人のうち乗客21人が死亡、日本人1人を含む負傷者多数 
- 1983年1 月12 日米軍事情報筋、落下中のコスモス1402号の原子炉積載本体部分が不安定な回転を示していると言明、正常な形での大気圏突入が困難となり原子炉部分が完全燃焼しな 可能性を示唆 
- 1983年1 月14 日日中韓3国代表とICAOの間で、韓国管制区域内に日本が責任をもつ回廊 (コリドー)を設定、航空路とすることで合意成立、これにより成田~北京間の飛行時間が21分間短縮 
- 1983年1 月15 日宇宙科学研究所、二段式固体燃料カッパーK9M型ロケット76号機打ち上げ 
- 1983年1 月19 日レーガン大統領と中曾根首相の会談で、1988年の米国スペースシャトル打ち上げ計画に日本人飛行士の参加で合意 
- 1983年1 月24 日航空事故調査委員会、南西航空着陸事故(1982.8.26)は、「機長の操縦ミス」を示唆する中間報告。また運輸大臣に対して音声記録装置と緊急時の搭乗者脱出・救難に関 する改善について建議 
- 1983年1 月25 日米フェアチャイルド社とスウェーデンのサーブ社共同開発のSAAB340が初飛行 
- 1983年1 月27 日宇宙開発事業団、宇宙材料実験用TT-500A型ロケット12号機を打ち上げ、頭胴部の 回収に成功 
- 1983年2 月1 日航空自衛隊三沢基地第3航空団所属F1戦闘機2機が日本海方面の国籍不明機にスクランブルを行う、航空自衛隊発足以来通算1万回目のスクランブル 
- 1983年2 月4 日宇宙開発事業団、初の実用静止通信衛星 CS-2aをN-Ⅱロケット3号機で打ち上げに成功、「さくら2号-a」と命名。2.24 静止化 
- 1983年2 月7 日米国防総省、原子炉搭載衛星コスモス1402号の炉心部分はブラジル東方約1800キロ沖合の南太平洋上で大気圏に突入を確認と正式発表。結果的に被害なし 
- 1983年2 月20 日宇宙科学研究所、第8号科学衛星(アストロ-B)をM-3Sロケット3号機で打ち上げ、「て んま」と命名 
- 1983年2 月23 日宇宙開発事業団、「うめ2号」の運用を終了 
- 1983年3 月1 日花巻空港がジェット化、東亜国内航空が羽田~花巻線をDC9-41で運航開始 
- 1983年3 月1 日東亜国内航空、羽田~熊本線をA300で運航開始 
- 1983年3 月1 日東京航空局調布空港事務所の新庁舎、管制塔が完成 
- 1983年3 月4 日米FAA、B747-300に型式証明 
- 1983年3 月9 日運輸省、日本航空の高木社長に「安全運輸確保のための業務改善についての勧告」を手渡す、乗員の健康管理など7項目が内容 
- 1983年3 月11 日仏・西独両国、A310に型式証明 
- 1983年3 月11 日日本近距離航空のYS11(乗員乗客53人)が、中標津空港で着陸に失敗して雑木林に墜落、機体は真っ二つに折れ31人が重軽傷 
- 1983年3 月14 日臨時行政調査会、行政改革に関する最終答申を首相に提出(5.23 臨時行政改革推進 審議会設置) 
- 1983年3 月15 日東亜国内航空、羽田~大分線をA300で運航開始 
- 1983年3 月22 日経団連、「衛星通信の民間利用早期実現を要望する意見書」を発表 
- 1983年3 月23 日日本航空機製造、清算手続きを完了し正式に解散 
- 1983年4 月1 日改正旅行業法、施行 
- 1983年4 月1 日日本航空、成田~シアトル~シカゴ線をB747で運航開始 
- 1983年4 月1 日日本近距離航空、福岡~対馬、長崎~対馬線をジェット化。 B737就航 
- 1983年4 月1 日運輸省、モーターハンググライダーについて「航空機の一種、飛行の際には許可が必要」とする通達を出す 
- 1983年4 月1 日宮城県岩沼市でパイパーPA34セネ力機が墜落、7人全員死亡 
- 1983年4 月3 日ユナイテッド航空が日本乗り入れ開始 
- 1983年4 月4 日米NASA、スペースシャトル オービタ2号機「チャレンジャー」(STS-5) 打ち上げ。4.7 マスグレーブ、ピーターソンの両飛行士、命綱をつけた状態で4時間にわたる宇宙遊泳を行う 
- 1983年4 月7 日「チャレンジャー」、朝日新聞社の人工雪実験を行う(雪結晶は記録するビデオに写らず)。4.9 帰還(STS-6;5日23分) 
- 1983年4 月8 日防衛庁技術研究本部、T-2改CCV実験機を三菱重工小牧南工場で初公開